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東京女子が雪ふるさとの移住女子になって、移住嫁になるまで その3

 

雪ふるさとの移住嫁こと、ふくしまみかです。

私の移住話、その3です。

 

(前回までのあらすじ)

東京で会社員として働くことに疑問を感じ、

社会のためになる地域おこしの活動を池谷集落でするため、

移住することを決めました。

 

 

 

地方に移住するにあたって、解決するべき課題は多々あると思います。

仕事・収入、住む場所、運転技術…。

私のようなIターン移住者は、家族が反対することもあるかもしれません。

独身者であれば両親、既婚者であればパートナー。

ですが、新しい土地に移り住むからこそ、大事な家族を納得させることは必要不可欠だと思います。

 

私がどうやって両親を説得したのか。

移住したいけど、家族が反対してるんだよね…。

そんな風にお悩みの方の参考になれば幸いです。

 

過保護だった私の両親

 

私は、父・母・私・3つ下の弟の4人家族。

両親は関西の出身で、私が生まれる頃に父の仕事の都合で東京に引っ越してきました。

典型的な核家族です。

 

私は大学も会社も都内だったので、移住するまでずっと実家暮らし。

実家を離れてみて気づきましたが、私は大変な箱入り娘でした。

大学生になっても、基本外泊は禁止。

社会人になってからは、課の打ち上げでオールなどするようになりましたが、数えるほどでした。

 

両親がたくさん愛情を注いでくれた表れだと思い、今では感謝していますが、

自由に友達の家に泊まったり、オールしたりする友人を見て羨ましく思うこともありました。

 

そんな風に育てられてきたので、「池谷集落に移住したい」と言っても、

反対されることは目に見えていました。

家族仲は良く、移住が原因で仲たがいすることは絶対に嫌だったので、

私なりに説得する作戦を練りました。

 

作戦1 相談は父親から!

 

ほぼ直観的に、「まずお父さんから話そう」と思いました。

この直観を分析すると、

・母親よりも感情的にならず、冷静に話を聞いてくれそう

・社会人経験が長いので、社会のためになりたいという価値観を理解してくれそう

・母親は父親をたてる人なので、父親が許可したことを無下に反対しなさそう

父親母親同時に話をすると、2(両親)対1(私)になってしまう

といったところだと思います。

 

父親に「相談したいことがある」と言い、仕事帰りに某居酒屋で待ち合わせをしました。

「移住したい」と切り出すのは、ものすっっっっごく勇気がいることでしたが、

直観通り父親はある程度理解してくれました。

 

「移住してずっと向こうに行くというのは抵抗があるけど、

 どうしてもというなら、一年とか半年とか期間限定なら

 行ってもいいという気がせんでもない」と父親

 

そうなると次は、難関の母親の説得です。

 

作戦2 母親を池谷に連れていく!

 

母は私のよき理解者で、よき相談相手で、よき遊び相手で、

考え方も性格もよく似ている、いわゆる友達親子でした。

 

父親から母親に私の意向が伝えられると、

「お母さんに話をしたら、反対されると思ったんでしょ」

と、すっかり私のことはお見通し。

 

とはいえ、私が1年ずっと池谷に通い、入れ込んでいることを知っているので、

全面的に反対、ということは言いませんでした。

 

「行きたい気持ちは分からなくないけど、

 今の仕事を辞めてまで行きたいって思う理由が分からないわ~」

としきりに言うので、これはもう現地を見させるしかないな、と思い、

池谷集落に一緒に行く約束を取り付けました。

 

私としても、母親が私を心配してくれているのは分かっているので、

実際に現地を見て、住むところを見て、村の人に会えば、

少しでも母親の心配が減るのではないか…と考えたのです。

 

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(あの日はこれでもかというくらい温かで穏やかな日だったなぁ)

 

作戦その3 大勢の前で宣言する

 

池谷集落では、毎年11月頭に「収穫祭」をしています。

「収穫祭」は村の人や近隣地域の人、都会のボランティアなどが集まり、

誰でも気軽に参加できるイベントなので、2人で参加することにしました。

 

ちょうどその年(2010年)の収穫祭は、

改修した旧池谷分校体育館のお披露目の意味もあり、120人近くが集まりました。

 

村の人に温かく迎えてもらい、豊かな自然に触れ、おいしいものを食べ、

池谷の活気がある様子を直に見て、母もまんざらではなさそうでした。

 

そこに私は、押しの一手を使いました。

約120人の参加者の前で、母に向けて移住をお願いする手紙を読んだのです。

 

手紙は、前日にこっそり書いていました。

両親へ今まで育ててくれたことの感謝、池谷への想い、

自分に1年時間を与えてもらいたいこと…。

私は大勢の前でみっともなく泣いてしまいましたが、母も泣いていたようです。

 

「あんな恥ずかしいことしなくても、

 お母さん、あんたの気持ち分かっているつもり」

母は少し怒りながらも、私の気持ちを受け止めてくれました。

 

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(本当に色んな人に励ましてもらったおかげで移住できました)

 

作戦4 あとは時間に任せる

 

思いつくことは全てやりきったので、

あとは、母親の気持ちの整理がつくまで待つことにしました。

 

収穫祭が11月の頭だったので、約2か月後の年末年始の頃、

母親がポロッと言いました。

「1年だったら、いいよ」と。

 

きっと、母もすごく悩んだと思います。

一人娘が親戚もいないような遠くの地にいくこと。

すごく心配だったと思うし(それは今もか…)、すごく抵抗があっただろうけれど、

それでも私の意志を尊重して、移住することを承諾してくれました。

 

本当に本当に、両親には感謝の一言です。

 

こうして私は両親の許可を得て、仕事先にも辞意を伝え、

2011年の春から、1年池谷集落で暮らすことになりました。

 

 

 

…はい。

お気づきになった方もいるかもしれませんが、

当初は移住は1年の約束だったんです。

 

ではなぜ、6年経った今も十日町に住んでいるのか…。

移住した後の話に続きます。