ふるさとのない東京女子が、見つけた「居場所」
雪ふるさとの移住嫁こと、ふくしまみかです。
3月になりましたねー。
つい先週ぐらいまではマフラー必須だったのが、必要なくなってきました。
だんだんと温かくなってきて、春が近づいてきたなって感じます。
春生まれなので、元々春が好きでしたが、雪国十日町にやってきて、もっと好きになりました。
雪がふる厳しいところだからこそ、春がきた嬉しさはひとしおですね。
さて、私が移住するまでの話について、色々と今まで書いてきました。
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池谷集落に惹かれたのは、村人たちの集落を残したいという熱い気持ちを知ったこともありますが、私の育ってきた環境にも理由があるような気がします。
今日は、そんな話です。
初めて会うひとから、「どこの出身なの?」「どこで産まれたの?」「実家はどこなの?」とよく聞かれるのですが、実はこの質問、どう答えたらいいのかいつも悩みます。
なぜなら、出身は東京と言っていますが、産まれたのは和歌山県で、実家は現在大阪府にあるからです。
ね。ちょっとややこしいでしょ?苦笑
私の両親は、父親が和歌山県和歌山市出身、母親が大阪府泉南市出身。県境を挟んで、隣り合っています。
母が私を妊娠中、父の仕事の都合で東京に引っ越し。里帰り出産をして、私を和歌山の病院で産みました。
育ったのはほとんど東京ですが、父親はいわゆる「転勤族」だったので、いろんなところを転々としました。
幼少期から中学2年生の1学期までは、東京都大田区。
中学2年生の夏休みのときに、父親が徳島に転勤になり、中2の2学期から卒業するまでは徳島県徳島市にいました。
高校受験前に父親の東京転勤が決まったので、東京の高校を受験。
高校3年間と大学3年生が終わるころまで、東京都品川区の社宅に暮らしました。
社宅が廃止になったので、大学3年生の就活中の最中、東京都大田区(前住んでいたところとは別のところ)に移りました。
こんな調子で、十日町に移住するまでの25年のうちに、引っ越すこと3回、4軒の家に住みました。
住んでいるところを転々としていると、私の潜在意識の中にこんな気持ちが芽生えます。
私には「ふるさと」と呼べる場所がない…。
自分のルーツとなる場所がなく、根無し草的な意識がありました。
ちなみに、私が十日町に移住した後に父親が早期定年退職し、母方の祖母の家の近くに引越しをしたので、現在実家は大阪にあるという訳です。
そんな「ふるさと」のない東京女子だった私にとって、池谷集落は初めて「自分のふるさと」と思える場所でした。
ソトコト編集長の指出さんが、著書「ぼくらは地方で幸せを見つける」の中で、こんな風におっしゃっています。
よく、若者は「自分探し」をするといわれますが、いまの若者たちは自分を探しているのではなく、自分が手ごたえや実感を得ながら暮らせる「居場所」を探しているのです。
本当にその通りだな!と思いました。
「ふるさと」とは言い換えれば、「自分がかえる場所」であり、まさしく「居場所」です。
「ふるさと」と思える場所がなく、地に足がつかないフワフワした気持ちを常に感じていた私だったからこそ、
「自分たちの集落を守りたい!」
と必死に取り組んでいる池谷集落の村人や移住者を見て、感銘をうけたんじゃないかな、と振り返って思います。
私のように、「ふるさと」がない、「居場所」がない、と思っている方。
ぜひ地域に入ってみて、自分がここなら地に足をつけて生きていける、と思う場所を見つけてもらえたらと思います。